地域と共に、400年以上の歴史がある豊橋祇園祭を今に続ける、手筒花火発祥の地「吉田神社」

東海道と豊川、吉田城跡のある「豊橋公園」が近くにある「吉田神社」は手筒花火発祥の地として知られています。源頼朝から崇拝されたことをはじめ、歴代の吉田城主に保護されながら歴史を紡いできた吉田城は、今も手筒花火奉納、豊橋祇園祭を通じて地域と密接に関わり、地域と共に発展してきました。なぜ、「吉田神社」が手筒花火の発祥の地とされているのか、また、地域に親しまれているのか、「吉田神社」で祢宜を務める水谷昌泰さんにお話を伺いしました。

祢宜の水谷さん
祢宜の水谷さん

吉田城郭の中にあった「吉田神社」、地域は豊橋祇園祭に向けて祭り一色に

――「吉田神社」の由緒や歴史について教えてください。

水谷さん 創建は諸説ありますが、天治元年(1124)にこの辺りで疫病が流行した際、疫病退散を祈願したことが始まりだとされています。源頼朝から深く崇拝を受け、今橋城(今の吉田城)が築城された後に正一位吉田天王社と称されています。今川義元、酒井忠次、池田輝政、さらには徳川幕府の吉田城下の歴代藩主から社殿の造営や修補、鳥居や手水盤などを寄進いただくなど、多くの援助を受けてきた神社です。戦後に社格は廃止されましたが、現在も8つの町の氏神として崇敬されています。御祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)です。あと、花火発祥の地と言われており、お祭りに特徴があります。

手筒花火発祥の地の碑
手筒花火発祥の地の碑

――「吉田神社」の例祭となる「豊橋祇園祭」について教えてください。

水谷さん 現在、「豊橋祇園祭」は7月第3金曜日から3日間開催されています。初日の金曜日は五穀豊穣、無病息災、家運降盛を祈念した手筒花火が神社境内で奉納され、翌日の土曜日は豊川河畔で打ち上げ花火が上がります。スターマインや仕掛け花火、氏子による早打ちなど、市街地に近い場所で大規模な花火が揚げられるので、大勢の人で賑わいます。河川敷に桟敷も用意されますが、近くのマンションからも花火の様子は見渡すことができるのではないでしょうか。

豊橋祇園祭の花火大会
豊橋祇園祭の花火大会

最終日の日曜日が本祭りで、頼朝行列を行います。江戸時代の「旧式祭礼図」にも行列の様子は描かれています。花火と同様、明治時代に吉田藩がなくなってからは変化してきましたが、今でも源頼朝に扮した子どもが馬に乗ってお神輿と一緒に町内を回ります。

8つの町が参加、自分の手作りで打ち上げる手筒花火

――手筒花火について教えてください。

水谷さん 戦国時代は火薬を武士が扱っていましたが、平和な江戸時代になると、お社が吉田城内にあったためか、火薬を扱う技術が今でいう氏子さんにも伝わっていきました。火薬の技術が一般の人にも伝わったことで、自分たちで火薬を調合し始めたことから花火の歴史が始まったと言われています。

手筒花火は「吉田神社」が発祥の地といわれる
手筒花火は「吉田神社」が発祥の地といわれる

花火の技術は口で伝えられるものではないため、一子相伝のように火薬を扱う職人集団のようなものが形成されたようです。江戸時代中期になると町内の人たちが次々に花火をあげるようになり、1700年前後には吉田城の前を通る東海道を封鎖して花火を上げていたようです。東海道はいろいろな人の往来がありますし、大名が必ず通るところなので、今から300年ほど前には全国的にも有名なお祭りになったいたようです。このような花火の歴史があることから、手筒花火の発祥の地と言われています。今は豊橋市内にも広がり、夏から秋にかけて頻繁に手筒花火が打ち上げられます。

拝殿
拝殿

――手筒花火は境内で上げるのですか?

水谷さん 土曜日の18時30分頃から神前手筒奉納といって、拝殿の目の前の石畳で各町の代表が一度に10人ほどで手筒花火を奉納します。その後、駐車場になっている砂利の広場で3本ずつ、8つの町が入れ替わり立ち替わり、200本前後の手筒花火を奉納して、それが22時頃まで続きます。境内がそれほど広くないので混み合いますが、手筒花火は自由に見ていただけます。

――地域の方との関わりについて教えてください。

水谷さん 地域とのつながりの多くは祇園祭に関する行事になります。祇園祭の準備が春頃から始まり、祇園祭の1ヶ月前からは手筒花火づくりが始まります。子どもたちが子ども神輿や頼朝行列に参列してくれたり、中学生が祇園祭の当日にボランティアでごみ拾いをしてくれたりします。

――手筒花火は氏子さん以外の方も上げることができるのでしょうか。

水谷さん 8つの町に住んでいるか、どこか町に入っていただければ打ち上げていただけます。今は離れているけれど、生まれ育った町で上げる方もいれば、新しく引っ越しをされてきた方が参加できる町もあります。男性のみになりますが、高校を卒業すると参加できるようになります。自分の手筒花火は自分で作るので、1ヶ月ほどかけながら町内の方との交流ができますし、地域のこともよく知ることができると思います。

入り口・鳥居
入り口・鳥居

――手筒花火は自分で作られるのですね。

水谷さん 町のみなさんで竹林へ行き、孟宗竹を取ってきます。美しい炎があがるように、真円に近い真っ直ぐな竹を選ぶことがポイントですね。1本の竹から3本くらいの節、だいたい、90センチほどの長さにして、底になる節だけ残して火薬が詰められるように中を綺麗にします。竹の周りには細い縄と太い縄を二重に巻き、祭りの前日に火薬を詰めます。なぜ、自分で作るかというと、火薬を扱う以上、危険を伴うこともあるので要は自己責任で上げる、ということです。祭りの後は手筒を玄関前や軒下に置いて縁起物として飾ります。この辺りの家を見ていただくと、手筒を置いてあるのが見えると思います。

これだけの作業を町内の人と準備するのは大変ですが、それだけ関係性が密になり、地域に馴染んでいくということ。打ち上げの時間は30秒ほどですが、そこに至るまでの過程が大切だと思っています。手筒の作り方はベテランさんに教えてもらいますが、何年か経験を積むと火薬の詰め方を自分なりに工夫することができるようになるので、同じように見える花火も人によって少しずつ違うことが分かるようになります。

私が子どもの頃は正直、みんな同じに見えて何がおもしろいのかよくわかりませんでしたが(笑)今見ると、新人さん、ベテランさん、詰め方が上手い人、綺麗に打ち上げる人、こういうことが分かるようになり、だんだんおもしろいと感じるようになりました。

私がお話しした内容はあくまでもここの町のことなので、それぞれ住まわれている地域の氏神様や町によって異なるので、手筒花火を上げたい、なにか関わりたいと思われたら、お住まいの近くの方に尋ねてもらうといいと思います。

手筒と水谷さん
手筒と水谷さん

歴史を感じられるスポット、家族で遊べるスポットが多数ある、暮らしやすい豊橋市

――豊橋市におけるおすすめのスポットはありますか?

水谷さん お祭り以外では、吉田城があった豊橋公園でしょうか。明治以降、城はなくなり、旧日本軍の部隊が置かれて城に関する遺構はほとんどないのですが、鉄櫓(くろがねやぐら)が1954(昭和29)年に模擬再建されています。あと、今は整備中ですが、池田輝政の時代の石垣が残っていて、当時の最新技術で積まれた石垣であることや、池田輝政は世界遺産となっている姫路城を築城する前に吉田城主であったことから、注目できる場所だと思います。

いろいろな施設に立ち寄れる市電沿いには国指定重要無形民族文化財の「豊橋鬼祭」をされている「安久美神戸神明社」があるので、御朱印巡りもおすすめです。吉田城では、隣接する豊橋市役所で御城印が頒布されています。当社も手筒花火発祥の地としてオリジナルの御朱印や御朱印帳、お守りを用意しております。

――家族のお出かけスポットもありますか?

水谷さん 私の子どもがよく遊びに行く場所は「まちなか図書館」です。市街地の中にあるおしゃれな図書館で、週末はキッチンカーが来たり、いろいろなイベントを行っています。「子ども未来館 ココニコ」もイベントをたくさん開催していますし、小さいお子さんが楽しく遊べる施設だと思います。ここから少し離れますが、「のんほいパーク(豊橋総合動植物公園)」もおすすでです。動物園、植物園、低料金で遊べる遊園地があります。

「まちなか図書館」
「まちなか図書館」

――今後、豊橋市に住むことを検討している方へのメッセージをいただけますでしょうか。

水谷さん 豊橋市の冬は温暖で過ごしやすいですし、「豊橋」駅からは名古屋方面にも浜松方面にも行きやすく、車があれば近隣の買い物スポットも行きやすい場所だと思います。豊橋祇園祭は夏に行いますが、豊橋市内では秋祭りも多く、毎週のように各神社で手筒花火の奉納もあります。住みやすく、お祭りが日常にある地域だと思います。

手筒花火がデザインされたお守り
手筒花火がデザインされたお守り

オリジナル御朱印帳
オリジナル御朱印帳

手筒花火がデザインされたお守り
手筒花火がデザインされたお守り

祢宜 水谷 昌泰さん
祢宜 水谷 昌泰さん

吉田神社

祢宜 水谷 昌泰さん
所在地:愛知県豊橋市関屋町2
電話番号:0532-52-2553
URL:http://toyohashi-yoshida.com/
※この情報は2024(令和6)年1月時点のものです。